世界線日本史同時代史アーカイブ
武士の兜と十字軍の盾を対比させたシルエットイラスト

文治元年

源頼朝とリチャード獅子心王は同時代人だった

源平合戦(1180〜85年)と第3回十字軍(1189〜92年)はほぼ同じ時期の出来事。鎌倉に武家政権を築いた源頼朝と、聖地を目指したリチャード獅子心王。東西の「武人の時代」を並べて読む。

鎌倉の鶴岡八幡宮と武士を象徴するシルエットイラスト

日本

1180年、以仁王の令旨を受けて源頼朝が伊豆で挙兵し、平氏との全国的な内乱、いわゆる源平合戦(治承・寿永の乱)が始まった。1185年、壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡。頼朝は同年、守護・地頭の設置を朝廷に認めさせ、武士による全国支配の枠組みを築いた。

1192年には征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府の体制が名実ともに整う。貴族(朝廷)が独占してきた政治権力に、武士という新しい階層が本格的に参入したこの転換は、以後約700年続く武家政権時代の出発点となった。

頼朝の政権は、京都から離れた鎌倉に本拠を置き、御恩と奉公という主従関係で武士たちを束ねる、それまでの日本にない統治の形だった。

十字軍の盾と城塞を象徴するシルエットイラスト

西ヨーロッパ・中東

リチャード獅子心王と第3回十字軍

頼朝が壇ノ浦で平氏を滅ぼした2年後の1187年、中東ではアイユーブ朝のサラディン(サラーフ・アッディーン)が聖地エルサレムをキリスト教勢力から奪回した。これを受けてヨーロッパでは第3回十字軍(1189〜92年)が組織され、イングランド王リチャード1世、フランス王フィリップ2世、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世という当時の西欧の主役たちが遠征に参加した。

「獅子心王」の異名を持つリチャード1世は、アッコンの攻略などで武勇を示し、サラディンと互角に渡り合ったものの、エルサレムの奪回はならず、1192年に休戦協定を結んで帰途についた。その帰路で捕虜となり、莫大な身代金と引き換えに解放されるという波乱も経験している。在位10年のうちイングランドに滞在したのはわずか半年ほどとも言われ、戦いに生きた王だった。

なぜ同時期だと面白いのか

12世紀末は、東西で「武人が歴史の主役に躍り出た時代」だった。日本では源平の武士団が貴族政治の時代を終わらせ、ヨーロッパでは騎士たちが十字軍という大遠征に身を投じていた。頼朝(1147年生)とリチャード1世(1157年生)は10歳差の同時代人であり、どちらも「戦う階級」の頂点として時代の転換を体現した人物である。

ただし2人の「その後」は対照的だ。頼朝は自らは前線に立たず、鎌倉から動かずに統治の仕組み(幕府)を作り上げることに徹した。一方のリチャードは生涯戦場を駆け続け、統治の仕組みづくりにはほとんど関心を示さなかった。武人の時代の到来という同じ潮流の中で、「制度を作った武人」と「伝説を作った武人」に分かれた点が、この2人を並べる最大の面白さだと言える。

年表:1185年 日本と世界

時期日本西ヨーロッパ・中東
1180年源頼朝が伊豆で挙兵。源平合戦始まる
1185年壇ノ浦の戦いで平氏滅亡。守護・地頭の設置
1187年サラディンがエルサレムを奪回
1189年奥州合戦で奥州藤原氏滅亡第3回十字軍出発。リチャード1世即位
1192年頼朝、征夷大将軍に任じられるリチャード1世とサラディンが休戦協定
1199年源頼朝死去リチャード1世、戦傷がもとで死去

※日付はグレゴリオ暦に統一して比較。日本側は当時和暦のため換算値です。