世界線日本史同時代史アーカイブ
十字架と天球儀を対比させたシルエットイラスト

天文18年

ザビエル来日の6年前、コペルニクスが地動説を発表していた

1549年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本にキリスト教を伝えた。その6年前の1543年、ヨーロッパではそのキリスト教会の宇宙観を揺るがす地動説が公刊されていた。そして1543年は、種子島に鉄砲が伝来した年でもある。

南蛮船と十字架を象徴するシルエットイラスト

日本

天文18年(1549年)、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本で初めて本格的なキリスト教の布教を開始した。ザビエルはスペイン・バスク地方の出身で、イエズス会の創設メンバーの一人。インドのゴア、東南アジアでの布教を経て、マラッカで出会った日本人ヤジロウの案内で日本にたどり着いた。

彼は約2年3か月の滞在で鹿児島・平戸・山口・京都などを巡り、日本人の知的水準の高さを本国への書簡で称賛している。ザビエルの来日に先立つ1543年には、種子島にポルトガル人が漂着して鉄砲が伝来しており、1540年代の日本は「南蛮」との接触が一気に始まった時代だった。

鉄砲は戦国の戦い方を変え、キリスト教は信仰と貿易の両面で大名たちの選択を揺さぶっていく。

天球儀と太陽系の軌道を象徴するイラスト

ヨーロッパ

コペルニクス、地動説を公刊

ザビエル来日の6年前、1543年にポーランドの天文学者コペルニクスは『天球の回転について』を公刊し、地球が太陽の周りを回るという地動説を体系的に提示した。天が地球の周りを回るという当時の常識(天動説)は、キリスト教会の世界観とも深く結びついていたため、この学説は後に大きな論争を巻き起こすことになる。

コペルニクス自身は同年に世を去ったが、彼の説はやがてガリレオやケプラーに受け継がれ、17世紀の科学革命へとつながっていく。宗教改革(1517年〜)によってカトリック教会の権威が揺らいでいた時代に、宇宙観の面でも足元を揺るがす一冊が世に出たことになる。

なお、ザビエルの所属したイエズス会は、宗教改革で失われたカトリックの勢力を海外布教で挽回しようとする「対抗宗教改革」の中核だった。日本への布教は、ヨーロッパの宗教的動乱の裏面でもあった。

なぜ同時期だと面白いのか

1543年という年は、日本とヨーロッパの両方で象徴的だ。日本には鉄砲という「ヨーロッパの技術」が伝来し、ヨーロッパでは地動説という「教会の世界観を覆す学説」が公刊された。そして6年後、その教会の信仰を携えたザビエルが日本に上陸する。日本は、ヨーロッパの「技術」と「信仰」をほぼ同時に受け取ったが、その信仰の足元では科学による地殻変動がすでに始まっていた。

もう一つ注目したいのは、ザビエルの来日が宗教改革への「対抗」の一環だったことだ。ルターの宗教改革でヨーロッパ内の信者を失ったカトリック教会は、その埋め合わせを求めてアジアへ向かった。つまり戦国日本へのキリスト教伝来は、地球の裏側の宗教対立の余波でもあった。日本史の一場面が、世界史の大きな地殻変動と直結していたことが分かる好例である。

年表:1549年 日本と世界

時期日本ヨーロッパ
1517年ルターの九十五か条の論題。宗教改革始まる
1534年イエズス会結成(ザビエルも創設メンバー)
1543年種子島に鉄砲伝来コペルニクス『天球の回転について』公刊
1549年ザビエル、鹿児島に上陸しキリスト教を伝える
1551年ザビエル、日本を離れる

※日付はグレゴリオ暦に統一して比較。日本側は当時和暦のため換算値です。