世界線日本史同時代史アーカイブ
五重塔と三日月・星を対比させたシルエットイラスト

飛鳥時代

聖徳太子とムハンマドは、ほぼ同世代だった

聖徳太子は574年生まれ、イスラム教の預言者ムハンマドは570年頃の生まれ。生年はわずか4年差、没年も10年差。日本に仏教文化が根付いた時期と、イスラム教が誕生した時期は完全に重なっていた。

法隆寺五重塔を象徴するシルエットイラスト

日本

聖徳太子(厩戸皇子、574〜622年)は、推古天皇の摂政として飛鳥時代の政治を主導したと伝えられる人物である。冠位十二階の制定(603年)、十七条憲法の制定(604年)、遣隋使の派遣、法隆寺の建立など、仏教を基調とした国家体制の整備に深く関わったとされる。

当時の日本は、百済から公式に伝来した仏教を受け入れるかどうかで蘇我氏と物部氏が争った時代を経て、仏教を国家の柱として採用していく転換期にあった。聖徳太子はその象徴的な存在であり、後世には信仰の対象にもなっていく。

なお、近年の歴史学では「聖徳太子」の事績の多くが後世に形成された可能性が議論されており、実像と伝説を区別する研究が進んでいる。

砂漠と三日月を象徴するシルエットイラスト

アラビア半島

ムハンマドとイスラム教の誕生

聖徳太子誕生のわずか4年前、570年頃にアラビア半島のメッカで生まれたのが、イスラム教の預言者ムハンマドである。彼は610年頃、40歳の頃に神(アッラー)の啓示を受けたとされ、唯一神への帰依を説き始めた。

622年、迫害を逃れてメッカからメディナへ移住(ヒジュラ=聖遷)。この年はイスラム暦の紀元元年となっている。そして奇しくもこの622年は、聖徳太子が世を去った年でもある。ムハンマド自身は632年に没するが、その後イスラム勢力は爆発的に拡大し、100年ほどでイベリア半島から中央アジアに至る大帝国を築くことになる。

なぜ同時期だと面白いのか

聖徳太子とムハンマドの人生はほぼ完全に重なっている。生年は4年差、そしてムハンマドがメディナへ聖遷した622年に、聖徳太子は世を去った。ユーラシアの東端では外来宗教(仏教)を国家の柱に据える作業が進み、西端では新しい世界宗教(イスラム教)が産声を上げていた。同じ数十年の中で、後の世界の宗教地図を決める2つの動きが同時に進行していたことになる。

さらに対比が面白いのは「宗教と国家の距離」だ。聖徳太子は既存の国家に仏教を取り込む側だったのに対し、ムハンマドは宗教共同体そのものが国家へと成長していく運動の中心にいた。1400年後の現在、仏教国・日本とイスラム世界の姿の違いの源流は、この同時代の2人の立ち位置の違いにまで遡れるのかもしれない。

年表:574年 日本と世界

時期日本アラビア半島
570年頃ムハンマド、メッカに生まれる
574年聖徳太子(厩戸皇子)誕生
604年十七条憲法の制定
607年遣隋使・小野妹子を派遣、法隆寺創建と伝わる
610年頃ムハンマド、最初の啓示を受ける
622年聖徳太子死去ヒジュラ(聖遷)。イスラム暦元年
632年ムハンマド死去。イスラム勢力の大拡大が始まる

※日付はグレゴリオ暦に統一して比較。日本側は当時和暦のため換算値です。