世界線日本史同時代史アーカイブ
大仏の掌と都市の設計図を対比させたシルエットイラスト

天平勝宝4年

奈良の大仏が開眼した頃、バグダッドが生まれようとしていた

752年、東大寺の大仏開眼供養が盛大に行われた。同じ10年ほどの間に、西アジアではアッバース朝が成立してバグダッドの建設が始まり、唐では安史の乱が帝国を揺るがしていた。

東大寺大仏殿を象徴するシルエットイラスト

日本

天平勝宝4年(752年)4月、奈良・東大寺で盧舎那大仏の開眼供養会が催された。聖武天皇の発願から約10年、国家の総力を挙げて造立された高さ約15メートルの金銅仏の完成を祝うこの法要には、インド出身の僧・菩提僊那が開眼の筆を執り、唐や林邑(ベトナム中部)の音楽が奏でられるなど、国際色豊かな一大イベントだった。

聖武天皇が大仏造立を発願した背景には、天然痘の大流行や政変、飢饉が相次いだ時代の不安があった。仏教の力で国家の安定を図る「鎮護国家」の思想のもと、国分寺・国分尼寺の建立と並ぶ国家事業として大仏は造られた。

遣唐使を通じて大陸の文物が流れ込んだこの時代、奈良の都は、シルクロードの東の終着点とも呼ばれる国際的な文化の受け皿となっていた。

円形都市バグダッドの設計を象徴するイラスト

西アジア

アッバース朝成立とバグダッド造営

大仏開眼の2年前、750年に西アジアではウマイヤ朝が倒れ、アッバース朝が成立した。そして762年、第2代カリフのマンスールは新都バグダッドの建設を開始する。円形の城壁に囲まれた計画都市バグダッドは、やがて人口100万を超えるとも言われる世界最大級の都市に成長し、イスラム文明の黄金時代の中心となっていく。

ギリシャの学問がアラビア語に翻訳され、数学・天文学・医学が花開くこの都市の繁栄は、後にヨーロッパのルネサンスにも影響を与えることになる。

長安の城門と戦乱を象徴するシルエットイラスト

中国(唐)

安史の乱、唐の絶頂と転落

大仏開眼の3年後、755年に唐では節度使・安禄山が反乱を起こした(安史の乱)。玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇でも知られるこの大乱は763年まで続き、世界帝国として絶頂にあった唐の国力を大きく削いだ。

乱の直前まで、唐の都・長安は人口100万を擁する世界最大の国際都市であり、日本の遣唐使や留学生もこの都で学んでいた。日本が大仏開眼で天平文化の頂点を迎えたまさにその時期、手本としてきた唐は繁栄の頂点から転落へと向かい始めていたことになる。なお752年に唐へ渡った遣唐使一行は、帰路で鑑真の来日(753年)を実現させている。

なぜ同時期だと面白いのか

750年代は、ユーラシアの都市と権力の地図が一斉に描き換えられた10年だった。奈良では大仏が開眼し、バグダッドでは新しい世界都市の建設が始まり、長安では世界帝国が内乱で揺らいだ。そして751年にはタラス河畔の戦いでアッバース朝が唐を破り、製紙法が西方へ伝わる契機になったとも言われる。

奈良の大仏は、こうした激動のユーラシアの東端で、「仏の力で国を安定させる」という選択の結晶だった。武力や都市計画ではなく巨大な仏像に国家の祈りを込めるという発想は、同時代の世界と並べることで、かえってその独自性が際立って見えてくる。

年表:752年 日本と世界

時期日本西アジア中国(唐)
750年アッバース朝成立
751年タラス河畔の戦いで唐がアッバース朝に敗北
752年東大寺大仏開眼供養
753年鑑真が来日を果たす
755年安史の乱勃発
762年バグダッドの造営開始

※日付はグレゴリオ暦に統一して比較。日本側は当時和暦のため換算値です。