
大正12年
関東大震災の年、ドイツではハイパーインフレが進行していた
1923年9月、関東大震災が首都圏を壊滅させた。同じ年のドイツでは、パンの値段が天文学的に跳ね上がるハイパーインフレが進行し、11月にはヒトラーが最初の武装蜂起に失敗していた。日独それぞれの「1923年の破局」を並べる。

日本
大正12年(1923年)9月1日、相模湾を震源とするマグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲った。昼食時と重なったことから各地で火災が発生し、東京・横浜の市街地は広範囲にわたって焼失。死者・行方不明者は約10万5000人にのぼり、日本の災害史上最大級の被害となった。
混乱の中では、流言によって朝鮮人などが殺傷される痛ましい事件も起きている。
震災は経済にも深い傷を残した。復興のために発行された震災手形の処理は長引き、1927年の金融恐慌の引き金となる。さらに1929年の世界恐慌が追い打ちをかけ、日本経済は昭和恐慌へと沈んでいく。関東大震災は、単なる自然災害にとどまらず、昭和初期の政治・経済の混迷の出発点になったと位置づけられている。

ドイツ
ハイパーインフレとミュンヘン一揆
同じ1923年、第一次世界大戦の敗戦国ドイツは経済の破局を迎えていた。巨額の賠償金支払いの停滞を理由に、1月にフランス・ベルギー軍が工業地帯ルールを占領。ドイツ政府は「消極的抵抗」を呼びかけ、その費用を紙幣の増発で賄ったため、マルクの価値は文字通り崩壊した。
1923年秋には物価が数時間単位で上昇し、1兆マルク紙幣が発行される事態に。パン1個の値段が数千億マルクに達したとも伝えられ、市民の預金や年金は紙くずと化した。11月には新通貨レンテンマルクの導入でインフレは終息するが、中間層の没落と社会への不信は深く残った。
そしてこの混乱の絶頂だった11月8日から9日、ミュンヘンでアドルフ・ヒトラー率いるナチ党が武装蜂起を起こして失敗する(ミュンヘン一揆)。ヒトラーは逮捕・投獄されたが、獄中で『我が闘争』を口述し、後に合法路線へ転換して再起することになる。
なぜ同時期だと面白いのか
1923年の日本とドイツは、原因こそ異なれど、どちらも「社会の土台が崩れる経験」をした。日本は地震と火災で物理的な首都を失い、ドイツはインフレで貨幣と中間層の生活基盤を失った。そして両国とも、この年の破局がその後の暗い歴史への伏線になっていく。日本では震災手形の処理が金融恐慌(1927年)から昭和恐慌へとつながり、ドイツではハイパーインフレで没落した中間層の不満が、後のナチ党台頭の土壌の一つになった。
ミュンヘン一揆の失敗時点では、ヒトラーは泡沫政治家の一人に過ぎなかった。だが1929年の世界恐慌が再びドイツ経済を襲ったとき、1923年の記憶を持つ人々の不安がナチ党への支持へと流れ込んでいく。関東大震災と1923年のドイツを並べて見えてくるのは、「災厄そのもの」よりも「災厄が残した傷が10年後にどう膿むか」という、歴史の時限爆弾のような構造である。
年表:1923年 日本と世界
| 時期 | 日本 | ドイツ |
|---|---|---|
| 1月 | ― | フランス・ベルギー軍がルール占領。インフレ加速 |
| 9月1日 | 関東大震災発生。死者・行方不明者約10万5000人 | ― |
| 秋 | 帝都復興院設置、復興事業始まる | ハイパーインフレが頂点に。1兆マルク紙幣発行へ |
| 11月8〜9日 | ― | ミュンヘン一揆。ヒトラーの蜂起が失敗 |
| 11月15日 | ― | レンテンマルク導入。インフレ終息へ |
| 1927年 | 震災手形処理をめぐり金融恐慌が発生 | ― |
※日付はグレゴリオ暦に統一して比較。日本側は当時和暦のため換算値です。