世界線日本史同時代史アーカイブ
戦艦と航空機を象徴するシルエットイラスト

昭和16年

太平洋戦争開戦の時、ヨーロッパ戦線はどこまで進んでいたか

1941年12月8日、日本軍が真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まった。その数日前、ヨーロッパ東部戦線ではドイツ軍のモスクワ攻略が頓挫し、ソ連軍の大反攻が始まっていた。

真珠湾攻撃を象徴する航空機のシルエットイラスト

日本

1941年12月8日(日本時間)、日本海軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカとの戦争、いわゆる太平洋戦争が始まった。同時に日本軍はマレー半島にも上陸し、東南アジア各地への進撃を開始する。

この開戦は、日中戦争の長期化と、アメリカ・イギリス・オランダなどによる対日経済封鎖(石油禁輸など)が続く中での決断だった。日本側から見れば物量的に勝ち目の薄い戦いだったとされるが、緒戦では東南アジア各地を急速に制圧していった。

雪原の戦車と兵士を象徴するイラスト

ヨーロッパ(独ソ戦)

モスクワ攻防、ドイツ軍の頓挫

太平洋戦争が始まるわずか3日前、1941年12月5日、ソ連軍はモスクワ近郊で大規模な反攻作戦を開始していた。同年6月に始まったドイツのソ連侵攻(バルバロッサ作戦)は、当初4か月以内のモスクワ陥落を目標としていたが、ドイツ軍の一部隊はモスクワ北西8キロ地点まで迫ったところで進撃が止まる。

極寒の中、装備不足に苦しんでいたドイツ軍に対し、ソ連軍は12月5日から6日にかけて反攻を開始し、ドイツ軍を100〜250キロメートル押し戻すことに成功した。ドイツ陸軍参謀総長ハルダーは、この直前に「戦力が尽きた」と日記に記している。奇しくもこの反攻が始まった数日後の12月8日、日本の真珠湾攻撃の報がヒトラーのもとに届き、彼は12月11日にアメリカへ宣戦布告した。

ドイツにとって、モスクワ攻略の失敗と対米宣戦布告がほぼ同時期に重なったこの局面は、後に第二次世界大戦の帰趨を左右する転換点になったと評されている。

なぜ同時期だと面白いのか

真珠湾攻撃とモスクワ攻防戦の反攻開始は、わずか数日しか離れていない。ドイツにとってこの時期は、ソ連侵攻の失敗が確定的になった瞬間であり、同時に同盟国日本が新たな戦線を開いた瞬間でもあった。ヒトラーはこの直後、日独伊三国同盟の義務でもなかったアメリカへの宣戦布告を自ら行っている。

結果として、ヨーロッパでの東部戦線の停滞と、太平洋での新たな戦線の開始がほぼ同時に起きたことで、第二次世界大戦は文字通り地球全体を巻き込む「世界大戦」へと姿を変えた。それぞれ独立して進んでいたはずの2つの戦争が、1941年12月のわずか数日の間に、後戻りのできない形で結びついたのである。

年表:1941年 日本と世界

時期日本ヨーロッパ(独ソ戦)
6月22日独ソ戦開始(バルバロッサ作戦)
12月5日ソ連軍、モスクワ前面で反攻開始
12月8日真珠湾攻撃、マレー半島上陸。太平洋戦争開戦
12月11日ヒトラー、アメリカへ宣戦布告

※日付はグレゴリオ暦に統一して比較。日本側は当時和暦のため換算値です。