
縄文時代中期
ピラミッドが建てられた頃、日本は縄文時代だった
紀元前2500年頃、エジプトではギザの大ピラミッドが建設されていた。同じ頃の日本列島は縄文時代。しかし「遅れていた」と言い切れない、豊かな定住社会がそこにはあった。

日本
紀元前2500年頃の日本列島は、縄文時代の中期にあたる。この時代の日本には文字も金属器も国家もなかったが、狩猟・採集・漁労を基盤とした定住生活が数千年にわたって安定して営まれていた。
青森県の三内丸山遺跡は、この時代の縄文社会の姿を象徴する存在である。紀元前3900年頃から紀元前2200年頃まで、約1700年にわたって人々が住み続けた大規模集落で、大型掘立柱建物や膨大な量の土器・土偶が出土している。クリの栽培管理が行われていた痕跡もあり、単純な「その日暮らしの採集民」というイメージを覆す、計画性を持った社会だったことがわかっている。
巨大建造物こそ残さなかったが、1万年以上続いた縄文時代は、世界的に見ても稀な「長期安定社会」だったと評価されている。

エジプト
ギザの大ピラミッド建設
紀元前2500年代、エジプト古王国のクフ王は、ギザの台地に高さ約147メートルの大ピラミッドを建設させた。平均2.5トンの石材をおよそ230万個積み上げたとされるこの建造物は、以後約4000年ものあいだ「人類が造った最も高い建築物」であり続けた。
ピラミッド建設を可能にしたのは、ナイル川の氾濫を利用した安定した農業生産と、それを管理する強力な中央集権国家、そして文字(ヒエログリフ)による記録・行政システムだった。近年の研究では、建設労働者は奴隷ではなく、パンとビールを支給される組織化された労働者集団だったことも分かってきている。
なぜ同時期だと面白いのか
ピラミッドと縄文集落を並べると、一見「進んだ文明と遅れた社会」の対比に見える。だがこの見方は一面的だ。エジプトの中央集権国家は、大河の恵みと引き換えに、飢饉・戦争・王朝崩壊のサイクルを繰り返した。一方の縄文社会は、巨大建造物も文字も持たなかったが、1万年以上にわたって大きな戦乱の痕跡を残さず存続した。
「何を築いたか」で文明を測ればエジプトに軍配が上がるが、「どれだけ長く安定して暮らしたか」で測れば縄文社会は世界史的にも特異な成功例である。同じ時代を生きた2つの社会は、優劣ではなく、まったく異なる生存戦略の対比として眺めるほうが面白い。
年表:紀元前2500年 日本と世界
| 時期 | 日本 | エジプト |
|---|---|---|
| 紀元前3900年頃 | 三内丸山遺跡の集落が形成され始める | ― |
| 紀元前3000年頃 | ― | 上下エジプトの統一、初期王朝の成立 |
| 紀元前2560年頃 | ― | クフ王の大ピラミッド完成 |
| 紀元前2500年頃 | 縄文中期。大規模集落が各地で栄える | ― |
| 紀元前2200年頃 | 三内丸山の集落が衰退 | 古王国が崩壊へ |
※年代は諸説ある概数です。この時代の日本にはまだ文字による記録がなく、和暦への換算は行っていません。